一姓農山さんのレスを読んでいて思い出したことがあります。
15年ほど前、大学の先生のうちに遊びに行って酒を飲みながら話した時の事。
その先生曰く、「作品にはその作者のすべてが投影されるのだから
よい作品を作るにはまず作者自身をよりよく高めていかねばならぬのじゃ」。
今思うとちょっと短絡的過ぎるなぁだけど、その時はただ素直に納得しました。
多少のまぐれがあるかもしれないけど”創る”からにはアイディア、技術的にも
作る人以上のものはできっこないのだからと。
それに、まだペーパーバックスタイルで厚さ3cmもあった月刊宝島の
”みんな、やさしくなろうよ”とか”僕たちがすこしづつ変われば世界は変わるんだ”
的記事に影響されていた70年代後半高校生の頃もあった私にはひざを打ちたくなるものがありました。
が、しかし、しかし、その後いろいろな作品を見、その作者と知り合ううちに
悪いやつほどいい作品を作ることが多いのですね、まぁ悪いとはいわないまでも
付き合っているといつか何かしらの被害をこうむりそうだなぁという予感がする人たちです。
また、こんな話もしてた。
”作家(あるいは芸術家)”であるか”ただのものを作る人”であるかは自分で決めることではなくほかの人が判断することであるのだ、と。
確かに勘違いしてる人(自分も含めて)は多いとは思うけどねぇ。
そんな志の無い生き方でいいんかい!とも思えるし。
自分はArtistである!と表明することでさらに実力のあるArtistになっていくのだ!と思ったりするのである。
高校生の時以来ずっと、いい人間、優しい人になりたいと思い続けている(ほんとだよ)のに、出来のいい作品をつくるには悪い人にならなくちゃ、嗚呼、
と思い悩むカキザキでした。
6 thoughts on “やさしくなりたいの”
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性格がチャーミングで、人に優しい彫刻家と絵描きをひとりずつ知っています。
ふたりの作品には、ふたりの優しさが溢れています。
彫刻家は成功(たぶん)しています。絵描きはまだ、夢の途中です。
でも、絵描きもやさしいまま、成功するであろうと願っています。
だから、カキも今のままで・・・やさしく貪欲に、創作活動にせいだしてください。
みほさん: あたしのすべてを知る人は今のままでじゅーぶん悪いと、そんな評価をしてくれる人たちに心当たりがありありまっす。女好きでスケベなのは良いことだから、これできっとバランスが取れているのではと思っているカキザキです。
あとは仕事をしさえすりゃいいんですが。酒を飲む金で尻をたたく秘書を雇ったほうがずっと豊かな生活ができるはずだと言われたことがあります。
・・・・。
みほさん: すいません。まじめに働きます。
小西夫婦からはいる情報は「悪い人」ではない。スケベ、女好きは男なら当然、つまり自然体で生活してるんではないかい?。
やはり作品は作者を超越するのだ。
一姓農山 さん: え~、自然体というよりは流され体のほうがあたっているような気がします。美空ひばりの歌のようであります。
説得されやすい体質なので、作品が俺を飛び越して俺よりえらいようなとほほ気分になってきました、とほほ。